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「出雲と大和」古代国家の原像をたずねて


この前読んだ"「出雲と大和」古代国家の原像をたずねて"を

読んだ感想です。

 

去年の2013年はとても珍しい

伊勢神宮式年遷宮出雲大社大遷宮

同年に行われた年でした。

 

そもそも、遷宮とは何なのかから説明すると、

神社本殿の造営または修理のことを言います。

 

伊勢神宮では、式年遷宮と言い20年ごとに行われていて、

出雲大社では大遷宮と言い60年ごとに行われます。

 

伊勢神宮には、

天照大神(あたまてらすおおみかみ)が祭られています。

日本神話に登場する神で皇室の祖神とされていて、

日本民族の総氏神ともされています。

 

それじゃあ、 

出雲大社では誰が祭られているのかと言うと、

大国主神(おおくにぬしのかみ)

またの名を、

大物主神(おおものぬし)

大己貴命(おほなむち)

など数多くの名をもち多くの神話に出てくる上に

多くの大事を成している。

有名な「国譲り」神話を行ったのも大国主神です。

 

そもそも、

皇族の始祖でもない大国主神の祭られている出雲大社がなぜ、

これ程もてはやされたり、遷宮が行われたりするのか???

 

そこで、ちょっと話を変えて説明します。

 

初代天皇である神武天皇が九州方面から東征し、

大和を征服して橿原宮で即位し、大和朝廷を成立したと言われています。

つまり、大和には既に住んでいる人達がいたという事になります。

 

その争いに破れた人達が、

出雲族だったのではないかと、この本には書かれています。

 

そう考えると、

諸々の話の辻褄が合ってきます。

 

大和朝廷で思い出されるのは、

小学校で習った邪馬台国卑弥呼の話があると思います。

(未だに賛否両論ある邪馬台国大和朝廷の話です)

 

今の皇族系の大和朝廷の書物で、

日本の正史である「日本書紀」に

邪馬台国卑弥呼も一切出てこないのはなぜか...

 

そもそも、邪馬台国卑弥呼が出てくるのは、

外国の史料である「魏志倭人伝」などのみである。

 

大和で争ったのが出雲vs大和で、その争いに勝った、

今の大和朝廷の書物に、敵国である邪馬台国や、

の女王である卑弥呼の事は書かないと思います。

 

ただ、既に当時の人々にも知られいた出来事もあるので、

完全に抹消する事はできずに、

卑弥呼と同時代に同じような事をした神功皇后の話が、

日本書紀には書かれていたりします。※

 

あともう一点、

出雲大社がもてはやされたり、

遷宮が行われたりする理由としては、

日本人の気質として昔から信じられていた

怨霊信仰が影響していると言っています。

 

現に歴代天皇の多くが、敵対して死んだ人や

島流しにして無念をもって無くなった人に対して、

何か良くない事が起こるたびに、その人の祟りだと信じ込み、

その祟りを沈めるという理由で神社を建てたりしている。

(一番有名なのは、菅原道真を祭った天満天神がある)

 

そういう理由で出雲族の祟りを恐れて、

出雲大社も大きな本堂を建てて祭っていたのである。

 

2000年に境内からは勾玉や巨大な宇豆柱が発掘された事で、

その当時としては、想定外に大きな本殿が建ていたと言われています。

 

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最後にこの記事は、あくまでも個人的に書いているので、

実際の言い方や、一部憶測が含まれているので、

本当に興味のある方は、ネットで調べてみるか、

この本を読んでみるといいかも。。。

 

 

 

卑弥呼神功皇后について面白い記事を見つけたので掲載します。

卑弥呼と神功皇后

こちらの記事では、

神功皇后の実体は、仲哀天皇の皇后という実像の上から、卑弥呼・台与の虚像の半透明膜を覆いかぶせたものである。

と書いてますね。。。

魏志倭人伝に書かれている卑弥呼は魏王と対等な立場で書かれていないので、

それを隠するため(卑弥呼と魏王は対等な立場であった事を偽装するため)だそうです。

魏志倭人伝を完全に信用するならですが....

この時代はどこの国も自国に都合のいいように書いていると思うので。

日本書紀もしかりですが...